カテゴリー: 連載コラム

『グリフォンズ・ガーデン』

『グリフォンズ・ガーデン』(早瀬耕・著、ハヤカワ文庫)

 ぼくの創造した《世界》が、実際にはどこに存在しているのか、という質問に答えるならば、それは、どこにも確固として存在しない。《世界》は、時間の経過とともにDWSの中を情報が流れていく系譜だ。それを静的に捉えることはできない。
《世界》は、「もの」ではなく、系譜という「ものがたり」なのだ。
(p.94)

『風に吹かれて』

『風に吹かれて』(樋口明雄・著、ハルキ文庫)

「何のこと?」
「とぼけんでもええ。ズルをしにいっとったんじゃろうが」
 硬直するモリケンをふたたび一瞥してから、父はまた漬け物を箸でつまんで口に放り込み、湯飲みの茶をすすってから、新聞紙に目を戻した。
「まぁ、ええ。世の中にゃあのう、真っ正直に生きちょると損をすることがようけいある。悪いことをするのはいけんが、たまにはズルいこともやらんといけん。それでええんじゃ」
(p.241)

『生き残り』

『生き残り』(古処誠二・著、角川書店)

 兵隊はこんこんと眠り続けていた。
 これは他人である。
 情を寄せるべきではない。
 名前も忘れるに越したことはない。
 ようするに単なる兵隊でしかない。
 落語の謎かけに使われるほど奇妙であろうと、兵隊という言葉はいつでもどこでも便利に使われる。「軍人」や「兵士」などの仰々しさがなく、取るに足らない無名の存在を指すのに極めて適しているのだった。
(p.16)

『蘭学事始』


『蘭学事始』
(杉田玄白・著、片桐一男・全訳注、講談社学術文庫)

 これまでの腑分けというのは、このような人にまかせて、その人がそれぞれの部分を指して、肺であると教えたり、これは肝臓である、腎臓であると切り分けてしめしていたのものであった。それを見に行った人びとは、ただそれを見ただけで帰って、
 「われわれはじかに内臓を見きわめてきた」などといっていたまでのことであったという。もともと内臓にその名称が書きしるしてあるわけではないから、腑分けするひとが指し示すのをみて、わかったということで、それがこのころまでのならわしであったということである。
 (……中略……)
 老人がまたいうには、
  「今まで腑分けのたびに、見学の医師のかたがたにこれらの内臓を指し示してきたのであるが、だれ一人として、それは何、これは何といって、疑問にされたおかたもなかった」
 といった。
 (pp.39−40)

『誰か』

『誰か』(宮部みゆき・著、文春文庫)

「人間てのは、誰だってね、相手がいちばん言われたくないと思ってることを言う口を持ってるんだ。どんなバカでも、その狙いだけは、そりゃあもう正確なもんなんだから」
(p.436)