心にとって時間とは何か

心にとって時間とは何か

青山拓央/講談社現代新書

 前節で見た「デッサン画」の議論をふまえて、私たちは発想を転換すべきだろう。五分前創造仮説とは、五分前よりも過去の世界について何も知らないかもしれないと人々を脅かすものである以前に、知っている通り(あるいは、ほとんど知っている通り)の過去がこの五分間は確実に在ったことを保証してくれるものなのだ、と。
 たとえ五分間であれ、いま在る記憶や痕跡と過去との繋がりが保証されるなら、それは僥倖と言ってよい。現実の生活において、そのような保証はけっしてなされない。私は眼前のデッサン画(輪郭と空白からなる過去の内容の像)にすがりつくようにして過去への推測を行なうが、それは、このデッサン画の正しさが保証されているからというより、それしかデッサン画がないからである。このデッサン画から出発し、その整合性に留意して、過去についての諸信念を取捨することしか私にはできない。たとえ、他人の話を聞いたり、本を読んだりした場合ですら。
(…中略…)
このとき、五分前よりも過去の世界に関して、私たちの知る歴史がなかったかもしれないのが不満な人は、いま述べた僥倖の本当の有り難みを分かっていない。枯れ木に花咲くより生木に花咲くを驚け、という言葉があるが、在ったと思う通りに過去が在ったことは、それがたとえ五分間であれ、まさに驚嘆すべきことであり、そして五分前創造仮説では、そのことが保証(!)されている。もちろん、これは設定による保証であり、現実の人間にそんな保証はできないが、だからこそ、これは僥倖なのだ。
(pp.94−95)

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