デッドライン

それは、動物になることと女性になることはどちらが重要か、という問題である。
『千のプラトー』の第十章は、全体としては動物になることを言祝いでいるのだが、その一方で、あらゆる生成変化はまず女性になることを通過する、と言われたり、また、動物への生成変化は途中段階にすぎない、と言われたりする。
僕は、動物への生成変化をテーマに掲げながら、むしろ女性というあり方に引っかかっていた。
「女性になりたいわけじゃない」
と、僕はカムアウトするたびに説明していた。知子にもそう言ったと思う。
僕は、男性をウケの立場から欲望するが、それは性同一性障害やトランスジェンダーとは別のことだ。僕は、男として男を欲望し、男に挿入される。
僕は、自分には欠けている「普通の男性性」に憧れていた。おそらくはその欠如感が、僕を動物というテーマへと導いている。動物になることを問う、それは僕にとっては、男とは何かを問うことなのだ。
動物になること、それは、男になることなのだ。
(『群像』2019年9月号、pp.58−59)