〈ヤンチャな子ら〉のエスノグラフィー

〈ヤンチャな子ら〉のエスノグラフィー

 その際、私は家族の経験が多元的であるということが手がかりになると考えている。ダイは「ケアを提供しない」母親が「気遣ってくれていること」に着目し、同居に値する「家族であること」を成し遂げていた。このダイの事例は、家族の成員がケアを提供していなくても、当事者たちが「家族であること」を成し遂げる可能性があることを示している。松木洋人は、子育て支援をおこなう者が、「子どもけのケア提供は引き受けるが「親であること」は引き受けないという実践」をしていることを実証的に明らかにし、そのことが、家族にとって、子どもへのケア提供は外部化するが「親であること」は放棄しないという実践を可能にしていると指摘した。
(p.231)

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